ジャーナリズム

言葉の定義からの話になるが、ジャーナリズムとは何か。

以下に引用する。

 

 

 

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

公共性と商業性目次を見る

ところで、後述するように、ジャーナリズムの中心的機能たる時事的な報道・論評活動には、現実的環境に生起した変化を一定の価値判断によって選択報道し、また、一定の問題意識と見解にたった論評を行うことを通じて、社会の神経組織としてと同時に、市民的自由ないし民主主義のための監視・警報装置としての役割が歴史的に負託されてきた。その限りにおいてジャーナリズムには公共性がある。ジャーナリズムが一定の社会的特権を認められたり、ジャーナリストへの一定の便宜供与を許容する社会的制度や慣行が存在しているのはそのためである。他方、ジャーナリズムは新聞社その他のマス・メディア企業によって営まれていて、マス・メディア企業は、企業経営の法則や採算に基づいて企業の維持・発展を図る。これは、ジャーナリズムが政府やその他の勢力から独立して自由な立場から活動を行うための必要条件である。そこからくるマス・メディア企業の商業性志向の前に屈して、ジャーナリズムが本来の機能をゆがめて果たすことも少なくない。ジャーナリズムの公共性とマス・メディア企業の商業性の矛盾的関係は、自由主義社会のジャーナリズムの弱点の一つといえる。[内川芳美]

 

今回は一項目のみ引用したので、語源やその他にも興味があれば改めて調べてみるのも良いだろう。

 

ここで取り上げたいのは、いわゆる「権力の監視」という文脈で語られるジャーナリズムだ。

引用にもある通り、ジャーナリズムなどというものはカネで歪む。

ただ、国内で利害関係の異なる者たちが引っ張り合いをしている状態であればまだ健康なのだが、利害関係を持ちカネを出してくるのはなにも日本人だけではない。

 

日本も米国も北朝鮮も加盟している国連の憲章に、内政不干渉の原則に関する記述がある。

しかし、他国の意向を受けた人間が個人として活動する分には、日本は非常におおらかだ。

マスメディア関連企業に就職する際、国籍は問題にはならない。

 

つまり、米国の超タカ派思想を持つ有力なスポンサーから命を受けた右派メディア記者や、何があっても中国共産党の有利になるよう世論を誘導する命を受けた左派メディア記者が存在しても、何もおかしくはないのだ。

 

実際、一読しただけでどこの国の理屈なのかと勘繰らざるを得ないような記事は多数存在する。

だが、例えそのような記事を目にしたとしても、何も驚くことはない。

 

現在国会で紛糾しているテロ等準備罪も関連するが、日本国に対してマスメディアを通じて故意に国益を損なう報道を行った者に対し、騒乱罪内乱罪外患罪で実際に対処できるかといえば、非常に難しいというより現実的ではない。

現状、いわゆるスパイは野放しということになる。

 

これでは権力の監視などただの建前にすぎない。というより、監視するのが日本人ではない可能性が高すぎる。

なぜなら、大金をかけて世論を誘導することでそれ以上の成果を得られるのだから、他国が日本のマスコミにかける金額は、日本国内のいち企業などが拠出する金額よりはるかに多いだろうことは想像に難くないからだ。

今の日本では、マスメディアによる権力監視の結果、中国共産党をはじめとする共産圏の都合の良いように糾弾するか、米国はじめ自由主義陣営の都合の良いように糾弾するかのどちらかだろう。

 

ジャーナリズムについて、これはもう日本においては機能していないと考えていいだろう。

 

歪んだ情報から自分を守るため、まず知らなければならないのは、大手新聞社やテレビ局がどのような立場から報道を行っているかについてだろう。

 

例えば、朝日新聞は左翼的な主張が多く掲載される。

産経新聞には右翼的な主張が多く掲載される。

 

同じ事柄について取り上げていても、上記二誌では論調がまったく逆になることもある。

お互いを糾弾する記事を掲載しあうこともあるほどだ。

 

ご存知の方が多いと思うが、まったく知らなかった、意識していなかったという方には、今後ニュースから情報を得る時に意識してみてもらいたい。

 

我々が考えなければいけないのは、「自分が情報を得た記事やニュースは、誰が発信しているのか誰が得をして誰が損をする内容だろうか」という非常に即物的な内容だ。

 

商業主義と近隣諸国や同盟国の思惑、記者個人の主義思想が入り混じった情報を受け取る中で、まずは情報を鵜呑みにしない、流されない頭を作ることが肝心だ。