正しい物事の見方

ここでは、「正しい物事の見方」を書いてゆきたい。

 

なぜか。

 

この国では、政治に関する話そのものがタブー視される傾向があった。

政治のみではなく、経済・金融・外交に関する報道各社の論調のズレや、利権の絡む内容を語ること自体、あまり歓迎される空気ではなかった。

 

昨今、一部の人が楽しむだけであったインターネットが幅広い層へ普及したことに伴い、リテラシーの低い層が直接、「情報」に触れることが可能になった。

 

この「情報」は発信元から一次情報源まで様々な内容が玉石混淆であるが、ネットの情報を得るとき、基本的に発信者の顔は見えない。

これにより、情報を発信する側も、その情報に触れる側も、空気感を気にする必要は無い。

つまり、これまで人々の口に上ることそのものが忌避されがちであった内容を、各々が語り、それを受け取る土壌が出来上がったわけだ。

 

しかし、テレビやラジオなどの受動的情報と異なり、ネットへのアクセスは能動的だ。

この差異はとても大きい。

 

テレビやラジオなどの放送は、日々様々な事件・事故・情勢の変化などが起きている中で、ニュース番組において報道各局が取り上げるべきと判断した数件を、アナウンサーが読み上げるなどして伝える。

情報の取捨選択はテレビ・ラジオ局側が行っているということだ。

今後、当ブログでも触れることになると思うが、報道各社の政治的偏向は確かに存在する。

何も考えずに流される情報を受け取っているだけでは、大きな偏りが生じる可能性がある。

 

インターネットはどうか。

能動的、つまり情報の取捨選択は自分で行うことになる。

ネットから情報を得ようと考えたとき、端的に言うと「自分の見たい情報」以外を得ることが非常に難しい。

人間は、よほど意識していない限り、無意識的に自分の見たくない情報を避けてしまう。

結果、こちらもテレビなどと同様に、得る情報が非常に偏ってしまう可能性がある。

 

インターネットが普及してしばらく経つが、自分が無意識的に見たくない情報を避けてしまっていることに気づいていない人がかなり多いように感じる。

これは大きな問題であり、特に外交・安保などの国論を二分するような議題では、立場の異なる双方が議論を行う下地すら作ることができない状況に陥ることも考えられる。

 

そこで、テレビ・新聞・ラジオ・インターネットその他情報源を問わず、得た情報の本当の意味と価値を自らが見出すことのできるように、これを読んでくださる皆様の意識を変革したい。

 

「正しい物事の見方」について取り上げるのはこのような考えからだ。

 

さしあたっていくつか問題点を取り上げ、例示するのが分かりやすいと思い、まず最初に書くべきは何かと考えたが、まったくもって問題が多すぎる。

 

長くなったので別に投稿する。